王国へゆく

港に浮かぶ島と名付けられた埋立地の上に動物の王国が出来たというので行ってきた。動物の王国の民は皆動物である。犬猫に始まり、兎、羊、陸亀、大嘴(おおはし)、かぴばら、ぺりかん、あるぱか、かんがるーに至るまで、種々の鳥獣が檻に閉じ込められることなくのんべんだらりとしている。王国は幾棟もの温室から成っている。いかに悪天候でも温室の中の動物と来国者には影響がないので便利であるが、雨雪が体を濡らす感覚を終生知らぬまま死ぬというのは鳥獣のあるべき姿から乖離し過ぎではないかとも思う。王国は少し前までは花鳥園と呼ばれていただけあって色彩豊かな植物もそこかしこに展示されていてそれなりに見栄えは良いが来国者は皆花には大した興味を示さず、動物達にせっせと餌を遣ったり背中を撫でたりしている。

彼女はあるぱかの背中を触ってふわふわだったふわふわだったと嬉しそうにしていた。係員の説明によればあるぱかは真後ろに立った者に回し蹴りをする動物であるらしい。まさかと笑っていたが腰あたりの毛を撫でようとした少女が背後から近づいた瞬間に短い左後ろ足がくるんと回転して空を切り、周りの見物客から小さいどよめきが起こった。

温室の隅に、人が二三人入れそうな大きな鳥籠を模した、花と草に覆われた白い建造物が立っていた。「恋人の聖地」と書かれた看板がそばにある。王国の名所を増やそうという魂胆であるらしいが、さらにその隣には重機とカラーコーンが置かれていて聖地造成が未完成であることがみてとれる。聖地を造るという半ば逆説的な行為にある種の感動すら覚えたが、王国の歴史は今年始まったばかりであるのでそういったものは人為的に作っていかなければならぬのであろうと思われた。

王国を出ると埋立地特有の荒涼とした風景が目の前に広がっている。貨物自動車の群れが轟轟と通り過ぎていく傍らの歩道を歩くあいだ、温室の中で永久に暮らし続ける動物達のぼんやりした顔が頭の中で繰り返し想起されてやまなかった。(九月十日)

こんな夢を見た。ふと気づくと私は郷里の我が家の外廊下に佇んでいる。いつ帰ってきたのだろうと不思議に思いながら外の景色に目を遣ると様子が普段と違う。家の前の坂道は一面水没していて、透き通った水の中を真っ黒で大きな鯱が何匹もうようよ泳いでいる。私はぎょっとして、海の見える方の部屋に行って窓から外を眺めてみた。寂れた港町は私の知らぬ間に大海に飲み込まれてしまったらしい、坂の上にある我が家を残して四辺一面の民家は水底に姿を消し、きらきらした海面が広がるばかりであった。水平線がずっと高い所にある。目の前を鯱が泳いでいるが、なんと人も二三人海水浴客のように楽しげに泳いでいる。鯱の肌をなぜつけて戯れている女性もいる。そんなことをしていては危ないと思った矢先に鯱が一人の腹に思い切り齧り付いた。血がわっと出る。それみたことかと思って私は手元の電話を手に取り救急に連絡した。誰かが電話に出たが、ノイズがざあざあ鳴っていてよく聞き取れない。大声で相手に話しかけてみる。

「人が鯱に咬まれました」

「(ノイズ)どれくらい咬まれたのですか――」

「腹を食いちぎられて、もう真っ二つになっています」

「(ノイズ)ではもう助かりませんね――、(ノイズ)救急に連絡しても無駄です――(ノイズ)警察を呼んでください――」

確かに救急を呼んでも仕方ない。しかし警察を呼んだところでどうにもならないのではないかとも思う。食いちぎられた人や鯱や我が家がその後どうなったかは分からない。

私は、名前をもたない羊の縫いぐるみです。枕のように平べったい形をしていて(大きさも子供用の枕と丁度同じ位です)、白いぽりえすてるの体毛と渦巻き状の柔らかい角をもった、市販の縫いぐるみです。私は中国の安徽省にある縫製工場で多くの兄弟たちとともに産まれ、工場内をこんべあに乗ってぐるぐる回ったあと、間もなく段ぼおる箱に詰め込まれて船で海を渡りました。折角の航海だというのに私は潮の匂いも魚の跳ねる音も感じることが出来ず、ただ上下に揺れるのが分かるばかりで、あとは暗い箱の中で兄弟たちと我々のこれからの一生について語り合っていました。縫いぐるみにとっての幸せや不幸せが何であるかについては、皆さんも大方の想像はつくことと思います。私は私を大切に扱ってくれるご主人と出会うことを祈りながら、毎夜眠りについていたのでした。日本に着いてから、私の入った箱は大きな倉庫にもっていかれ、数日をそこで過ごしたあとで、乗り物に載せられて一晩、久々に明るい灯の光を見たと思った時には、私は神戸の百貨店の陳列棚におさまっておりました。工場から連れ添った兄弟もわずかにおりましたが、陳列棚に置かれた当初の私の気分というのは頗る芳しくなく、百貨店の明かりというのは工場の電灯と違って、ぎらぎらと真白くてあまり良いもののようには思えませんでしたし、産まれて間もない私が異国の地でさまざまな人間から品定めをされていると思うと、それが市販品の運命とはいえ孤独や不安を感じました。陳列されてから数日のあいだ、私に目を遣る人や手に取る人は案外多かったのですが、しばらくするとあまり気にもかけられなくなり、兄弟が一人減り二人減り、新しい兄弟がまた入って来を繰り返し、古い兄弟も新しい兄弟も皆いなくなったのに、結局私を買い求める人は現れないまま、一匹で年を越してしまいました。

私がご主人と出会ったのは、一月三日の事でありました。その日は百貨店のばあげんせえるの日でしたから普段より賑やかで、私を手に取る人の数も多かったためか毛並みもやや崩れ、昼を過ぎると少し草臥れたので、うとうとしておりました。すると突然私はむんずと掴まれて、一人のお嬢さんに強く抱き締められていました。お嬢さんは私を抱いたままぴょんぴょんと飛び跳ねて、譫言のようにああ、ああと声を漏らしていました。羊の縫いぐるみを目にしてこの時のお嬢さんほど嬉しがった人間を私はついぞ見たことがありません。私は中国の工場と神戸の百貨店とで幾人もの人の手に掴まれてきましたが、お嬢さんの掌から伝わる感情の強さには私の胸をうつものがありました。結局、このお嬢さんが私のご主人となったのであります。

私は今お嬢さんの部屋で生活をしております。私が来たとき、お嬢さんの部屋には、薄紫色の毛をもったあるぱかの縫いぐるみがすでにおりました。世の中には羊の他にも犬だの猫だの色んな動物の縫いぐるみがいて、珍しいものではあるぱかやぱんだという名の動物の縫いぐるみもある事を、私は中国の工場で検針係の娘さんから教わりましたが、実際にあるぱかを見ると驚きました。顔つきや毛並みはまるで私そっくりなのに、首も脚もすらりと長いのです。私は自分の体の丸っこいのが恥ずかしくなりましたが、お嬢さんにほつれた糸くずを鋏で丁寧に刈り取られ、抱きしめられたところで、そんなことはどうでもよくなり、ああ、私はお嬢さんとともに生きよう、と強く思ったのでありました。毎晩お嬢さんは、私を枕にして夢を結んでいらっしゃいます。

手袋

二条城の傍で四十年以上客にコーヒーとカレーを出し続けている喫茶店があって前々から気になっていたが最近初めて訪れた。六十年代の終わりからそう大して変わっていないだろうと思われる店内で、六十過ぎから七十位のお婆さんが三四人でゆっくりゆっくり切り盛りしている。常連客も観光客も皆カレーを注文する。カレーにはハムカツだの茹で卵だのを乗せることもできて、一度食べて気に入ってから月に二三度は食べに行くようになった。或る日いつものカレーを其処で食べて家に帰り、彼女に会いに大学へ行こうとした所で、手袋が見つからないことに気が付いた。部屋の中や鞄の中を探してもない。少しずつ頭の中が冷たくなる。僕の革手袋は昨年か一昨年買った物だが右手の人差指に穴が開いてしまって、それも構わず使っていたのを見かねた彼女が器用に繕ってくれた跡がある、もはや既製品ではない手袋である。一対の視線が僕を苛んでくる様子が目に浮かんだがやむなく素手のままで彼女に会いに行き、手袋を無くしたと伝えた。頭の中ががらんとしていたので彼女がどんな表情で何を云ってきたか今となってはもう思い出せない。帰りに喫茶店に寄って手袋の落し物がありませんかと店主のお婆さんに尋ねたが収穫はなかった。

それから二週間程は戒めの意味も込めて新しい手袋を買うことをしなかったが冬の京都は増々寒くなる一方で風は手の甲の肌に噛みつくように冷たい。いい加減根負けしたので河原町で新しい手袋を選んでもらう。何故これにしたんだと尋ねると、一番早く穴の開きそうな手袋を選んだのと云った。

それから更に二週間位経って、あの喫茶店のカレーの味を思い出したので久しぶりに訪れてみると、店のお婆さんの一人がこちらを見て、待ち人が来た時のような嬉しそうな、反面申し訳なさそうな表情で無くしたはずの革手袋を差しだしてきた。何でも僕が手袋を置き忘れて店を出た後でお婆さんの一人がこれを発見して取り置いておいたのだが、店主のお婆さんに報告することを失念していたのであったらしい。僕が落し物に気付いて寄った時に応対してくれたのは店主であったから、無いと答えるのもやむを得ない。貴方の手袋は何か特別な思い入れのある感じがしたから、近いうちに絶対取りに来るはずと思っていた、顔は憶えているからいつでも渡せるように用意していた、ごめんなさいねと店主のお婆さんが話していた。

こういう行き違いで僕の手元には手袋が二つある。彼女が繕ってくれた物と、彼女が選んでくれた物と、どちらを使えばいいのか、どういう顔をして彼女にこのことを伝えればいいのか、決めあぐねている所である。

電飾祭

電飾祭を観に行きたいと云う彼女に連れられて神戸まで行く。四条烏丸から電車に乗ったのが夕方五時頃であったから、消灯の九時までには大方間に合うだろうと二人とも高をくくっていたら、途中店に入って買うでもない洋服を見物したり晩飯を食ったりして元町に着いてみると八時半である。小雨も降っている。傘を持っていないのでそのまま歩き出す。開催中の週末は人で溢れかえるはずの大通りも流石に閑散としていて、運が良いのやら悪いのやらわからない。彼女は生まれも育ちも兵庫であるから電飾祭には一遍ぐらいは来たことがあると思っていたが、どうやら今晩が初めての様で、その証拠に会場への道が不案内である。だってただの電飾じゃないの、見に行ってもしょうがないわと身も蓋もないことを云う。僕も全く同意見で電飾が街中を照らすだけの催しに何の面白味があるのか今まで皆目わからなかったがこうして彼女と夜の神戸を散歩するだけでも悪くない気分である。

穹窿形の電飾がビルからビルへと架けられてアーケードのように装飾された仲町通を抜けて東遊園地に到着すると、広場をぐるりと取り囲むようにして幾何学模様の光の壁が立てられている。光の中に入ると赤やら白やら黄色やら水色やら色々の光線が混ざり合って昼の様であり、彼女が明るい明るいと白い息を弾ませている。雨粒でレンズが濡れるのも構わずに僕は一眼レフで彼女の写真をばしゃばしゃと撮る。もっと良い構図で撮れないものかと思案している内に全ての明かりが突然ふっと消えて、わあ、と驚きとも嘆きともつかぬ人々の声が真っ暗の広場を包む。光の中に居たのはせいぜい十分程であったがそれだけに忘れがたい十分となった思いがする。いつのまにか雨もやんでいる。電飾など眺めても意味がないと云っていた昔の二人はもう何処かへいってしまって、良かった良かったと褒めるばかりである。

帰り際に見つけた屋台の中に林檎飴を売る店があった。彼女は物欲しそうな目をしつつも我慢するわと云って僕の腕にしがみつく。来年は買って遣ろうと思う。(十二月九日)

その日(加筆修正版)

二月も終わりの頃に臨時雇いで職場に来た彼女は端正な顔立ちで静々と自己紹介をする。極く真面目な大人しい娘という印象であったが二三日もすると皆と打ち解けてよく喋るようになり気立ても良かった。仕事をすぐに覚え、冗談をいうところころ笑った。

僕も彼女もその職場は季節労働の臨時雇いであったので春休みが終わる前に辞めてしまったが、二人はたまたま同じ大学に通う者同士であったから、キャンパスに戻ってからも暇を見つけては会って色々の無意味なことを話し、僕は始めたばかりの一眼レフで彼女の写真を幾枚も撮った。良い写真が撮れたと云うと、決まって彼女は、カメラマンの腕はともかく被写体が良いですから、と生意気を云う。否定するつもりもないので黙っていると彼女はこちらの方を見てにやにやと笑う。その繰り返しで数箇月が矢のように過ぎた。

 

八月の或る日に彼女と淀川花火大会に行く。駅の構内で待っていた彼女は水玉模様の袖無しのワンピースを着て、普段の眼鏡姿とは違いコンタクトを着けていた。見違えたような雰囲気である。どこに目を向けていいやら分からなくなってとりあえず並んで歩き出した。今日はいつになく奇麗じゃないかと云うと、今日「も」奇麗なんですよ、と生意気を云う。そうしてまた例のにやにや笑いをする。

観覧場所へ近づくにつれて道行く人の数は増え、屋台の連なる川岸はもはや世界の終末かと思うほど人でごった返している。林檎飴が好物だと云うので二本買う。川岸に何とか場所を見つけて座り、彼女は喜んで林檎飴を頬張った。僕は食べ方のよくわからないままどうにか飴を舐め溶かして林檎を齧った。随分と喉の渇く食べ物である。そのうちに花火がどんどんと揚がって彼女が喜んだ。間断なく打ち揚がる花火を見るのと、爆発のたびにわあ、わあと声を上げる彼女の横顔を見るのとで忙しかった。今でも僕はこの晩の彼女がとても美しく見えたことを覚えている。

 

十一月三十日。土曜日にも拘らず午前中に講義のある彼女と会うために昼頃大学へ行く。食堂で昼飯を食べた後で紅葉の見える相国寺の中を歩き、そこを抜けて四条河原町まで歩いていく頃にはもう日も落ちてすっかり暗い。長年住み慣れた下宿を離れて新しい住処を探す予定であることを話すと、彼女は我が事のように喜んで、私はロフトのある部屋が良いわとかキッチンを貸して頂戴とか云いだした。

三条大橋のたもとの店でお好み焼きを食べて外へ出ると冬の気配である。川端通りから鴨川沿いを望み、等間隔に座る男女の群れを冷かしていたら彼女が僕の名前を呼ぶので、何だと尋ねると、私はほんとに寒がりだから、腕組みをさせてと云う。左腕を貸す。暖かい暖かいと彼女が嬉しがった。電車に乗って帰る彼女のために普通なら駅で別れる所だが、話すべき事がまだある。この機を逃すといつになるやら分からないので家まで送ると云って一緒の電車に乗る。僕の右手袋の指先に穴が開いた話を数日前にしていたためであろう、電車の中で彼女は前もって用意していたらしい小さな裁縫道具を鞄から取り出して、手袋の穴を器用に繕いはじめた。少し不恰好かしらと彼女が出来上がりを見て心配するが、針と糸の事などとんと分からぬ僕にとってはさっきまで開いていた穴が塞がること自体が驚くべき事である。

電車を二回乗り換えて着いた先は坂の多い郊外の町であった。僕の郷里より建物も車もずっと多いが、猪が出ることもあるという。終電を逃したら猪と同衾する羽目になりますねと云って彼女が僕の腕を抱きつつ意地悪く笑ううちに、ほんとうに竹林からがさがさと音がしたので驚いた。竹林の猪と通り過ぎる車以外には音のしない静かな住宅街である。二人は坂に連なる家並の裏手にあって川を眺めることのできる細い階段を登る。階段の中腹で彼女が僕の腕から一旦離れたので、肩を抱いてやろうと思い、手を伸ばして左肩を掴んだら、僕の胸から熱いものがこみあげてきて衝動的に右手までが動き、後ろから彼女を抱きしめる格好になった。彼女の体がこわばる。腕を離して彼女と向かい合い、身の引き締まる思いで、おれが君のことをもらってあげようか、と云った。彼女は狼狽しながらも真っ直ぐに僕を見て、私は重い女ですよ、いいんですか、と云う。構わないという顔をしたら、彼女が小動物のような眼をしてこくりこくりと頷いた。

  

十二月一日の午前零時過ぎ、終電の時間はとうに過ぎて僕は竹林の猪ではなくて彼女と同衾していた。布団の中で彼女は、たった一時間でおんなじベッドに寝ているなんてどういうことなのよ、私はそんなに軽い女じゃないのよ、と小声で僕を叱りつけた。永井荷風の小説に「明い電燈をまともに受けた裸身雪を欺くばかり」という一文があるが、彼女の肌は正しく雪を欺く程であり、対照的に髪と瞳はいつになく艶々と黒かった。みればみるほど楚々としたいい娘である。この子がおれのものになったかと思うとたまらない心持になる。そのあと僕は始発の電車に乗り、昨日から今日にかけての長い一日の出来事をすべて反芻しながら家へ帰った。

  

最近になって彼女は、二人で撮った写真が欲しいわね、と云うようになった。

その日

二月も終わりの頃に臨時雇いで職場に来た彼女は端正な顔立ちで静々と自己紹介をする。極く真面目な大人しい娘という印象であったが二三日もすると皆と打ち解けてよく喋るようになり気立ても良かった。仕事をすぐに覚え、冗談をいうところころ笑った。

僕も彼女もその職場は季節労働の臨時雇いであったので春休みが終わる前に辞めてしまったが、大学に戻ってからも暇を見つけては会って色々の無意味なことを話し、始めたばかりの一眼レフで彼女の写真を幾枚も撮った。良い写真が撮れたと云うと、決まって彼女は、カメラマンの腕はともかく被写体が良いですから、と生意気を云う。否定するつもりもないので黙っていると彼女はこちらの方を見てにやにやと笑う。その繰り返しで数箇月が矢のように過ぎた。

 *

八月の或る日に彼女と淀川花火大会に行く。駅の構内も観覧場所への途上も屋台の連なる川岸も、世界の終末かと思うほど人でごった返している。林檎飴が好物だと云うので二本買う。人のひしめくなか川岸に何とか場所を見つけて座り、彼女は喜んで林檎飴を頬張った。僕は食べ方のよくわからないままどうにか飴を舐め溶かして林檎を齧った。随分と喉の渇く食べ物である。そのうちに花火がどんどんと揚がって彼女が喜んだ。

この日の彼女は水玉模様の袖無しのワンピースを着て、普段の眼鏡姿とは違いコンタクトを着けていた。今日はいつになく奇麗じゃないかと云うと、今日「も」奇麗なんですよ、と生意気を云う。そうしてまた例のにやにや笑いをする。今でも僕はこの晩の彼女がとても美しく見えたことを覚えている。

 *

十一月三十日。土曜日にも拘らず午前中に講義のある彼女と会うために昼頃大学へ行く。食堂で昼飯を食べた後で紅葉の見える相国寺の中を歩き、そこを抜けて四条河原町まで歩いていく頃にはもう日も落ちてすっかり暗い。長年住み慣れた下宿を離れて新しい住処を探す予定であることを話すと、彼女は我が事のように喜んで、私はロフトのある部屋が良いわとかキッチンを貸して頂戴とか云いだした。

三条大橋のたもとの店でお好み焼きを食べて外へ出ると冬の気配である。川端通りから鴨川沿いを望み、等間隔に座る男女の群れを冷かしていたら彼女が僕の名前を呼ぶので、何だと尋ねると、私はほんとに寒がりだから、腕組みをさせてと云う。左腕を貸す。暖かい暖かいと彼女が嬉しがった。電車に乗って帰る彼女のために普通なら駅で別れる所だが、話すべき事がまだある。この機を逃すといつになるやら分からないので家まで送ると云って一緒の電車に乗る。電車の中で彼女は前もって用意していた裁縫道具を鞄から取り出して、僕の右手袋の指先に開いた穴を器用に繕った。少し不恰好かしらと彼女が心配するが、針と糸の事などとんと分からぬ僕にとってはさっきまで開いていた穴が塞がること自体が驚くべき事である。

電車を二回乗り換えて着いた先は坂の多い郊外の町であった。僕の郷里より建物も車もずっと多いが、猪が出ることもあるという。終電を逃したら猪と同衾する羽目になりますねと云って彼女が僕の腕を抱きつつ意地悪く笑ううちに、ほんとうに竹林からがさがさと音がしたので驚いた。竹林の猪と通り過ぎる車以外には音のしない静かな住宅街である。二人は坂に連なる家並の裏手にあって川を眺めることのできる細い階段を登る。階段の中腹で彼女が僕の腕から一旦離れたので、肩を抱いてやろうと思い、手を伸ばして左肩を掴んだら、自分でも不思議なくらい右腕が自律的に動いて、後ろから彼女を抱きしめる格好になった。彼女の体がこわばる。腕を離して彼女と向かい合い、身の引き締まる思いで、おれが君のことをもらってあげようか、と云った。彼女は狼狽しながらも真っ直ぐに僕を見て、私は重い女ですよ、いいんですか、と云う。構わないという顔をしたら、彼女が小動物のような眼をしてこくりこくりと頷いた。

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十二月一日の午前零時過ぎ、終電の時間はとうに過ぎて僕は竹林の猪ではなくて彼女と同衾していた。布団の中で彼女は、たった一時間でおんなじベッドに寝ているなんてどういうことなのよ、私はそんなに軽い女じゃないのよ、と小声で僕を叱りつけた。永井荷風の小説に「明い電燈をまともに受けた裸身雪を欺くばかり」という一文があるが、彼女の肌は正しく雪を欺く程であり、対照的に髪と瞳はいつになく艶々と黒かった。みればみるほど楚々としたいい娘である。この子がおれのものになったかと思うとたまらない心持になる。そのあと僕は始発の電車に乗って家へ帰った。

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 最近になって彼女は、二人で撮った写真が欲しいわね、と云うようになった。