電飾祭

電飾祭を観に行きたいと云う彼女に連れられて神戸まで行く。四条烏丸から電車に乗ったのが夕方五時頃であったから、消灯の九時までには大方間に合うだろうと二人とも高をくくっていたら、途中店に入って買うでもない洋服を見物したり晩飯を食ったりして元町に着いてみると八時半である。小雨も降っている。傘を持っていないのでそのまま歩き出す。開催中の週末は人で溢れかえるはずの大通りも流石に閑散としていて、運が良いのやら悪いのやらわからない。彼女は生まれも育ちも兵庫であるから電飾祭には一遍ぐらいは来たことがあると思っていたが、どうやら今晩が初めての様で、その証拠に会場への道が不案内である。だってただの電飾じゃないの、見に行ってもしょうがないわと身も蓋もないことを云う。僕も全く同意見で電飾が街中を照らすだけの催しに何の面白味があるのか今まで皆目わからなかったがこうして彼女と夜の神戸を散歩するだけでも悪くない気分である。

穹窿形の電飾がビルからビルへと架けられてアーケードのように装飾された仲町通を抜けて東遊園地に到着すると、広場をぐるりと取り囲むようにして幾何学模様の光の壁が立てられている。光の中に入ると赤やら白やら黄色やら水色やら色々の光線が混ざり合って昼の様であり、彼女が明るい明るいと白い息を弾ませている。雨粒でレンズが濡れるのも構わずに僕は一眼レフで彼女の写真をばしゃばしゃと撮る。もっと良い構図で撮れないものかと思案している内に全ての明かりが突然ふっと消えて、わあ、と驚きとも嘆きともつかぬ人々の声が真っ暗の広場を包む。光の中に居たのはせいぜい十分程であったがそれだけに忘れがたい十分となった思いがする。いつのまにか雨もやんでいる。電飾など眺めても意味がないと云っていた昔の二人はもう何処かへいってしまって、良かった良かったと褒めるばかりである。

帰り際に見つけた屋台の中に林檎飴を売る店があった。彼女は物欲しそうな目をしつつも我慢するわと云って僕の腕にしがみつく。来年は買って遣ろうと思う。(十二月九日)