私は、名前をもたない羊の縫いぐるみです。枕のように平べったい形をしていて(大きさも子供用の枕と丁度同じ位です)、白いぽりえすてるの体毛と渦巻き状の柔らかい角をもった、市販の縫いぐるみです。私は中国の安徽省にある縫製工場で多くの兄弟たちとともに産まれ、工場内をこんべあに乗ってぐるぐる回ったあと、間もなく段ぼおる箱に詰め込まれて船で海を渡りました。折角の航海だというのに私は潮の匂いも魚の跳ねる音も感じることが出来ず、ただ上下に揺れるのが分かるばかりで、あとは暗い箱の中で兄弟たちと我々のこれからの一生について語り合っていました。縫いぐるみにとっての幸せや不幸せが何であるかについては、皆さんも大方の想像はつくことと思います。私は私を大切に扱ってくれるご主人と出会うことを祈りながら、毎夜眠りについていたのでした。日本に着いてから、私の入った箱は大きな倉庫にもっていかれ、数日をそこで過ごしたあとで、乗り物に載せられて一晩、久々に明るい灯の光を見たと思った時には、私は神戸の百貨店の陳列棚におさまっておりました。工場から連れ添った兄弟もわずかにおりましたが、陳列棚に置かれた当初の私の気分というのは頗る芳しくなく、百貨店の明かりというのは工場の電灯と違って、ぎらぎらと真白くてあまり良いもののようには思えませんでしたし、産まれて間もない私が異国の地でさまざまな人間から品定めをされていると思うと、それが市販品の運命とはいえ孤独や不安を感じました。陳列されてから数日のあいだ、私に目を遣る人や手に取る人は案外多かったのですが、しばらくするとあまり気にもかけられなくなり、兄弟が一人減り二人減り、新しい兄弟がまた入って来を繰り返し、古い兄弟も新しい兄弟も皆いなくなったのに、結局私を買い求める人は現れないまま、一匹で年を越してしまいました。

私がご主人と出会ったのは、一月三日の事でありました。その日は百貨店のばあげんせえるの日でしたから普段より賑やかで、私を手に取る人の数も多かったためか毛並みもやや崩れ、昼を過ぎると少し草臥れたので、うとうとしておりました。すると突然私はむんずと掴まれて、一人のお嬢さんに強く抱き締められていました。お嬢さんは私を抱いたままぴょんぴょんと飛び跳ねて、譫言のようにああ、ああと声を漏らしていました。羊の縫いぐるみを目にしてこの時のお嬢さんほど嬉しがった人間を私はついぞ見たことがありません。私は中国の工場と神戸の百貨店とで幾人もの人の手に掴まれてきましたが、お嬢さんの掌から伝わる感情の強さには私の胸をうつものがありました。結局、このお嬢さんが私のご主人となったのであります。

私は今お嬢さんの部屋で生活をしております。私が来たとき、お嬢さんの部屋には、薄紫色の毛をもったあるぱかの縫いぐるみがすでにおりました。世の中には羊の他にも犬だの猫だの色んな動物の縫いぐるみがいて、珍しいものではあるぱかやぱんだという名の動物の縫いぐるみもある事を、私は中国の工場で検針係の娘さんから教わりましたが、実際にあるぱかを見ると驚きました。顔つきや毛並みはまるで私そっくりなのに、首も脚もすらりと長いのです。私は自分の体の丸っこいのが恥ずかしくなりましたが、お嬢さんにほつれた糸くずを鋏で丁寧に刈り取られ、抱きしめられたところで、そんなことはどうでもよくなり、ああ、私はお嬢さんとともに生きよう、と強く思ったのでありました。毎晩お嬢さんは、私を枕にして夢を結んでいらっしゃいます。