手袋

二条城の傍で四十年以上客にコーヒーとカレーを出し続けている喫茶店があって前々から気になっていたが最近初めて訪れた。六十年代の終わりからそう大して変わっていないだろうと思われる店内で、六十過ぎから七十位のお婆さんが三四人でゆっくりゆっくり切り盛りしている。常連客も観光客も皆カレーを注文する。カレーにはハムカツだの茹で卵だのを乗せることもできて、一度食べて気に入ってから月に二三度は食べに行くようになった。或る日いつものカレーを其処で食べて家に帰り、彼女に会いに大学へ行こうとした所で、手袋が見つからないことに気が付いた。部屋の中や鞄の中を探してもない。少しずつ頭の中が冷たくなる。僕の革手袋は昨年か一昨年買った物だが右手の人差指に穴が開いてしまって、それも構わず使っていたのを見かねた彼女が器用に繕ってくれた跡がある、もはや既製品ではない手袋である。一対の視線が僕を苛んでくる様子が目に浮かんだがやむなく素手のままで彼女に会いに行き、手袋を無くしたと伝えた。頭の中ががらんとしていたので彼女がどんな表情で何を云ってきたか今となってはもう思い出せない。帰りに喫茶店に寄って手袋の落し物がありませんかと店主のお婆さんに尋ねたが収穫はなかった。

それから二週間程は戒めの意味も込めて新しい手袋を買うことをしなかったが冬の京都は増々寒くなる一方で風は手の甲の肌に噛みつくように冷たい。いい加減根負けしたので河原町で新しい手袋を選んでもらう。何故これにしたんだと尋ねると、一番早く穴の開きそうな手袋を選んだのと云った。

それから更に二週間位経って、あの喫茶店のカレーの味を思い出したので久しぶりに訪れてみると、店のお婆さんの一人がこちらを見て、待ち人が来た時のような嬉しそうな、反面申し訳なさそうな表情で無くしたはずの革手袋を差しだしてきた。何でも僕が手袋を置き忘れて店を出た後でお婆さんの一人がこれを発見して取り置いておいたのだが、店主のお婆さんに報告することを失念していたのであったらしい。僕が落し物に気付いて寄った時に応対してくれたのは店主であったから、無いと答えるのもやむを得ない。貴方の手袋は何か特別な思い入れのある感じがしたから、近いうちに絶対取りに来るはずと思っていた、顔は憶えているからいつでも渡せるように用意していた、ごめんなさいねと店主のお婆さんが話していた。

こういう行き違いで僕の手元には手袋が二つある。彼女が繕ってくれた物と、彼女が選んでくれた物と、どちらを使えばいいのか、どういう顔をして彼女にこのことを伝えればいいのか、決めあぐねている所である。