その日

二月も終わりの頃に臨時雇いで職場に来た彼女は端正な顔立ちで静々と自己紹介をする。極く真面目な大人しい娘という印象であったが二三日もすると皆と打ち解けてよく喋るようになり気立ても良かった。仕事をすぐに覚え、冗談をいうところころ笑った。

僕も彼女もその職場は季節労働の臨時雇いであったので春休みが終わる前に辞めてしまったが、大学に戻ってからも暇を見つけては会って色々の無意味なことを話し、始めたばかりの一眼レフで彼女の写真を幾枚も撮った。良い写真が撮れたと云うと、決まって彼女は、カメラマンの腕はともかく被写体が良いですから、と生意気を云う。否定するつもりもないので黙っていると彼女はこちらの方を見てにやにやと笑う。その繰り返しで数箇月が矢のように過ぎた。

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八月の或る日に彼女と淀川花火大会に行く。駅の構内も観覧場所への途上も屋台の連なる川岸も、世界の終末かと思うほど人でごった返している。林檎飴が好物だと云うので二本買う。人のひしめくなか川岸に何とか場所を見つけて座り、彼女は喜んで林檎飴を頬張った。僕は食べ方のよくわからないままどうにか飴を舐め溶かして林檎を齧った。随分と喉の渇く食べ物である。そのうちに花火がどんどんと揚がって彼女が喜んだ。

この日の彼女は水玉模様の袖無しのワンピースを着て、普段の眼鏡姿とは違いコンタクトを着けていた。今日はいつになく奇麗じゃないかと云うと、今日「も」奇麗なんですよ、と生意気を云う。そうしてまた例のにやにや笑いをする。今でも僕はこの晩の彼女がとても美しく見えたことを覚えている。

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十一月三十日。土曜日にも拘らず午前中に講義のある彼女と会うために昼頃大学へ行く。食堂で昼飯を食べた後で紅葉の見える相国寺の中を歩き、そこを抜けて四条河原町まで歩いていく頃にはもう日も落ちてすっかり暗い。長年住み慣れた下宿を離れて新しい住処を探す予定であることを話すと、彼女は我が事のように喜んで、私はロフトのある部屋が良いわとかキッチンを貸して頂戴とか云いだした。

三条大橋のたもとの店でお好み焼きを食べて外へ出ると冬の気配である。川端通りから鴨川沿いを望み、等間隔に座る男女の群れを冷かしていたら彼女が僕の名前を呼ぶので、何だと尋ねると、私はほんとに寒がりだから、腕組みをさせてと云う。左腕を貸す。暖かい暖かいと彼女が嬉しがった。電車に乗って帰る彼女のために普通なら駅で別れる所だが、話すべき事がまだある。この機を逃すといつになるやら分からないので家まで送ると云って一緒の電車に乗る。電車の中で彼女は前もって用意していた裁縫道具を鞄から取り出して、僕の右手袋の指先に開いた穴を器用に繕った。少し不恰好かしらと彼女が心配するが、針と糸の事などとんと分からぬ僕にとってはさっきまで開いていた穴が塞がること自体が驚くべき事である。

電車を二回乗り換えて着いた先は坂の多い郊外の町であった。僕の郷里より建物も車もずっと多いが、猪が出ることもあるという。終電を逃したら猪と同衾する羽目になりますねと云って彼女が僕の腕を抱きつつ意地悪く笑ううちに、ほんとうに竹林からがさがさと音がしたので驚いた。竹林の猪と通り過ぎる車以外には音のしない静かな住宅街である。二人は坂に連なる家並の裏手にあって川を眺めることのできる細い階段を登る。階段の中腹で彼女が僕の腕から一旦離れたので、肩を抱いてやろうと思い、手を伸ばして左肩を掴んだら、自分でも不思議なくらい右腕が自律的に動いて、後ろから彼女を抱きしめる格好になった。彼女の体がこわばる。腕を離して彼女と向かい合い、身の引き締まる思いで、おれが君のことをもらってあげようか、と云った。彼女は狼狽しながらも真っ直ぐに僕を見て、私は重い女ですよ、いいんですか、と云う。構わないという顔をしたら、彼女が小動物のような眼をしてこくりこくりと頷いた。

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十二月一日の午前零時過ぎ、終電の時間はとうに過ぎて僕は竹林の猪ではなくて彼女と同衾していた。布団の中で彼女は、たった一時間でおんなじベッドに寝ているなんてどういうことなのよ、私はそんなに軽い女じゃないのよ、と小声で僕を叱りつけた。永井荷風の小説に「明い電燈をまともに受けた裸身雪を欺くばかり」という一文があるが、彼女の肌は正しく雪を欺く程であり、対照的に髪と瞳はいつになく艶々と黒かった。みればみるほど楚々としたいい娘である。この子がおれのものになったかと思うとたまらない心持になる。そのあと僕は始発の電車に乗って家へ帰った。

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 最近になって彼女は、二人で撮った写真が欲しいわね、と云うようになった。